土壁の歴史

土壁の歴史
奈良唐招提寺、瓦と泥レンガの土塀。
奈良唐招提寺、瓦と泥レンガの土塀。

 

青丹よし奈良の都は……

奈良の枕詞である「青丹よし」のアオニとは万葉の言葉で、青や黄や赤やの土のことをいう。オウ、アオとは黄色や青色のこと。ニは赤土。赤土が映えることをニオう(匂う)という。左官発祥の地・奈良に土壁を詠む。

食糧をたくわえる隠れ場と安定した縄張りをつくる野ネズミやリスの如く、はじめは季節的であれ、そうした隠れ場に定住するのが人間にとっての家であった。たとえばアイヌにとってチセとは家であり、屋根であり、主婦であった。女が草や木枝を拾い集め三角の屋根をつくる。いわば、獣を追いながら旅をする狩猟民のテントのようなものだ。屋根の中に食糧をたくわえる。炉を切る。狩猟採集から農耕が始まり定住が安定したものになると、男が柱を立て、女のつくった屋根を柱の上に載せ、まわりを草や木枝で囲む。それが壁の始まりである。壁もまた女の手によって囲まれる。三角の屋根のように雨を外に切ることのできない垂直の壁は、いつか泥を塗ったり、石を泥で積んだ壁となる。

(「チルチンびと」72号抜粋 ※全文は電子書籍でご覧ください。)

 

小林澄夫 こばやし・すみお
 
1943年、静岡県生まれ。
40年以上にわたり左官専門誌の編集者として活躍し、全国に残る伝統的な土壁と、現代の左官仕事の豊かさを紹介し続けてきた。
著作に『左官礼讃』『左官礼讃Ⅱ 泥と風景』(ともに石風社刊)がある。編集長を務めた小社別冊34号『左官と建築』が発売中。

 
 

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