雑誌「チルチンびと」80号掲載「奈良県/芸家 田中茂雄さんを訪ねて」
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27せる作業はこれからも続く。 5年前には集落の共有耕作地を任され、自家菜園もスタート。翌年、その畑での築窯を認められ、念願の穴窯を自作。以後、焼成はすべて穴窯に切り替えた。朝5時台に起床し、ストーブに火をつけ、神棚や井戸、竃などに祝詞を捧げ、竈でご飯を炊くのが、田中さんの日課だ。穴窯、暖房、風呂には、自ら割った薪で火をくべる。大地に根ざし、自分の手を使って紡いでいく暮らし。 田中さんの作品は、李氏朝鮮時代の陶磁器や桃山の古陶磁などを生み出した数々の古い技法を基層とする。しかしその高度な古技に追いつくことは、まさに至難の技だ。「古陶には、深々とした力強さ、迫力があるんです。自ら火を熾こし、水を引くという自然に沿った暮らしが、本物の手の力を生み出していたんですよ」。 安土桃山時代、侘茶を唱えた利休が、朝鮮の古い井戸茶碗を茶器に見立てたことで、日本では、意匠を手放した寂びた味わいの古陶を愛でる風潮が広まる。朝鮮由来でありながら、現地では一部の古窯跡にしか発見されなかった井戸茶碗。先人たちが伝えた自然そのものを美とする技と心は、風土に即した暮らしから生まれたのだ。 ところで田中家の暮らす集落、栢森には、「カヤ」の名にちなみ、明治初年、葛神社を富岡鉄斎が加夜奈留美命神社として復興した社がある。カヤと言えば、古墳時代に日本と親密な関係にあった加耶諸国が思い浮かぶ。倭人の拠点の一つだった加耶は早くに滅びたが、明日香に多くの亡命者が帰化したと推測される。その加耶の故地に、近年、井戸茶碗の古窯が発見された。李朝の井戸茶碗に惹かれて作陶に入った田中さんが明日香に暮らす縁の不思議を、思わずにはいられない。 骨董器の世界では、使うことで滲み出る肌の深みを「育つ」と呼ぶ。人の手が加わることで古いものは未来へと成長し、時空を超える力をもつ。それは、昭和55年から日本で唯一、全域を古都保存法対象地域とし、風土を守った明日香村にも内在する力だ。開発重視の時代、古都保存運動を起こしたのは子どもたちの地域教育のためだった。未来を育てるた自然とつながる古き力は創造力と未来を育てる田中さんが朝一番にお参りする神棚には、天照大神、飛鳥坐神社、飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社の神札を祀っている。有機農家の樽井一樹さん、菜食料理人の高橋慎也さん・由夏さん夫妻、音楽家MIROKUさんなど、明日香を愛する仲間とともに食卓を囲む。

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