雑誌「チルチンびと」72号掲載「土壁の歴史」
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186漢字から平仮名が生まれたように寺院建築の版築が風土化して土壁となる右/解体された奈良唐招提寺の基礎。身の丈ほど深く版築で固められている。 左/奈良東大寺の版築土塀。版築とは型枠の内側に土を敷いて突き固める工法のこと。右/版築による基礎上部の亀腹。奈良当麻寺講堂。 左/奈良斑鳩に建つ版築の小屋。右/奈良山の辺の道にて、泥レンガを積んだ納屋。 左/奈良唐招提寺、瓦と泥レンガの土塀。右/版築技法が大陸から移入する以前の家のかたち(青森一戸町の縄文竪穴式住居)。左/奈良春日大社のお旅所。黒木に草屋根の始まりの家か。毎年原始の姿に復元される。物をすりつぶすように手のリズムで、屋根も壁もつくられたのだ。そしてアイヌのチセノミの新築の祝詞は、家を、美しい女の姿をほめるようにエロスの言葉でたたえたのだ。 まだ、言葉が人の声だけであった時代、文字が生まれる前には、そのようにして家はつくられた。言葉は手のリズムとともに声を分節することから始まった。分節された声によって物のイメージを身体の外に思い描くことができるようになった。そして、言葉によって物事をプロセスとしてプログラムできるようになったのだ。 草を刈り集め、枝を組み、屋根を葺いたら、石を拾い集め泥で積み上げて壁をつくる。または竹や木枝を編み、それに土を水でこね、その泥を塗りつけて壁をつくる。いわば言葉は唄である。唄とともに家はつくられたのだ。 「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」とスサノオが唄ったように……。曲面の壁から平らな壁へ そして、農耕が余剰生産物を生み出すようになると都市が形成される。余剰の穀物を収納保存する倉庫がつくられ、それを管理分配する非生産者が現れる。また穀物の収穫の安定と増産を祈願、祝う呪術師と穀物の量を計測記録するものが現れる。呪術と記録の必要から書字が生まれる。呪術からは金銀細工の職人や祭器づくり。玉つくりや鏡つくり、武器づくりの鍛冶屋が生まれ、税としての穀物や布を計り管理し記録するための書記が、王家の歴史や家系図を残すための史官がおかれる。都市は城壁で囲まれ、王宮がその中心に建てられる。倉庫が並ぶ。万葉の言葉で垣は壁を意味する。都市の垣は結界をなす。 そこでは、壁はいままでの壁ではない。壁は女性的な曲面ではなく、

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