雑誌「チルチンびと」90号掲載「栃木県/S邸」
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道具を扱う私が縁あって明治時代の古家に出会い、何のゆかりもない、この関東平野の端っこにやってきたのは昨年のこと。少しずつ家に手を入れながら、いままでの都会とは全く異なる暮らしを始めた。 里山の夜は商店の灯りも光り輝く看板もなく、街道沿いにポツポツと街灯があるだけ。それは以前暮らしていたフィレンツェの丘の上の情景が思いだされ、懐かしく、とても心地良い。家の中は土壁と濃い色の梁と天井で、実際以上に暗く感じる。そんな田舎では生の火は身近なもの。この家も昔は囲炉裏がきってあったようだが、今は大きな薪ストーブ。冬場は24時間焚き続ける暖房として欠かせない。時には食べ物の調理や保温、扉を開けて灯りとしても活躍してくれる。年が明けるころからは手元を暖め、お餅も焼ける火鉢も登場する。もちろんキャンドルも、そんな日常の火の一つ。その扱いは薪や炭より楽で、場所を選ばない生の火。 本来、明るさを求めて灯されるのがキャンドルだが、私にはどちらかというと夜の薄暗さ、影を楽しむのがキャンドルの灯りだと思える。イタリアに暮らしてきて感じたことは、夜は家の中も外も日本よりずっと暗く、それが当たり前。必要なところだけを灯す。せっかくの夜なのだから、隅々まで明るく照らしてしまっては台無し。 キャンドルを灯すというとクリスマスや誕生日などが思い浮かぶが、私にとっては年間通して使うもの。さすがに毎日灯しているわけではないが、たとえばふらっと立ち寄ってくれた友だちと気軽にお茶や食事のときなどに。家の中に限らず庭ででも。イタリアでは屋外でもキャンドルはよく使う。庭のないアパルタメントに暮らす人たちもテラコッタの屋根が見渡せる小さなベランダに椅子をだして、キャンドルの灯りでお酒を楽しんでいる。それは春・夏だけではなく、ジャケットを羽織りながら、ちょっと肌寒い11月1日のオンニサンティ(諸聖人の日)あたりまでよく見かける光景。 炎の灯りは物を立体的に見せる。ただ、絵画で観る静寂なキアロスクーロ(イタリア語で明暗のコントラストを示す)より実際の灯りはもっと暖かみがあり、私の中では喧騒なイメージ。これは私が人との集まりでキャンドルを灯すことが多いからだろうか。 賑やかさと落ち着きが共存する空間。写真や絵画では表現しきれない光の動きと炎の美しさの織りなすゆったりとした時間が、人と人を繫ぎ、包み込み、一体化した空間をつくり上げてくれる。 使っているのは、もっとも古典的な蜜蠟キャンドル。それも、ここで自分でつくっていこうと思う。 昔から興味のあった養蜂も始めた。もちろん蜂蜜も魅力的だが、それ以上に蜂という生き物に興味があった。だから、蜜は蜂たちの残り物を少しだけ分けてもらう、決して無理矢理採ることはしない。そして蜂蜜と一緒に採れるのが蜜蠟。蜂たちが一生懸命つくった六角形の巣は、崩してしまうのが申し訳ないくらい美しい。その巣をお湯で溶かし、不純物を取り除き、常温に戻して固めたものが蜜蠟。鈍い黄き朽くち葉ば色をしていて、ちょっと美味しそうな蜜蠟キャンドルは、燃やしても匂いがほとんどないので、食卓でも気持ちよく使うことができる。蜂たちには本当に感謝だ。 欲張りでいろいろなことをやってみたい私にとって、家は日々、生活するだけの場所ではない。どうなっていくかはまったく想像できなかったが、良くも悪くも今までとは違う生活ができるのでは、という感覚と直感だけの決断。ここでなら何かを生み出せそう、と感じた。 こうして暮らしてみると、決して古いものだから美しく、そして必ずしも昔からの習慣がエライというわけではないが、やはり……、と思ってしまうことが多いのは、古道具屋である私の贔屓眼なのだろうか。20古profileしおみ・ななえ/東京都渋谷区に生まれ、幼児期をイタリア、イギリスで過ごし帰国後、インターナショナルスクールに通う。幼い頃よりアンティークディーラーだった母に連れられヨーロッパの骨董市を廻る。大学進学を機にフィレンツェに渡り10年間暮らす。東京に戻ってイタリアを中心にヨーロッパの古道具を扱うANTIQUES BAGATTO(http://www.bagatto.jp)を始める。2015年より栃木県足利市名草の里山に移住。上/庭の楓の下で、友人たちと食事を。里山ならではの野趣ある楽しみ。左ページ/刻一刻と陽が沈み、青みがかった光があたりに満ちる夕暮れ時、キャンドルにささやかな火が灯される。室内とはまた違った趣が生まれる。キャンドルの光と炎が織りなす贅沢な時間に包まれて

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