雑誌「チルチンびと」80号掲載「古民家はなぜ人の心を打つのか」
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71の届かないコミュニティのありかたを、無意識に求めているからなのかもしれません。 田中さんは、物には「工業製品」と「人の手でつくられるもの」と「自然の恵みで得られるもの」の3種類があり、建築はこのすべてを使うと指摘していました。そして古民家は、ほとんど自然の恵みと人の手でつくられたものだけでできています。自然の恵みの一つに、古民家をかたちづくる梁や柱などの架構の材料があります。民家で使われる丸太は角がなくて、親しみがもてる。我々が動物や草木を愛でるのと同じよう、自然を想起させる入り口となるものです。一方角材は、合理化のために機械を導入した「堂の技術」の現れともいえ、自然の要素を削ぎ落とした工業製品です。 そして人の手の存在。手仕事に近づくほどあたたかみを見出すものですが、手仕事=人件費という構図が成立している現代において手仕事を求めるのは、少々難しくなってきています。古民家がつくられた当時は、材料費よりも人件費のほうが圧倒的に安かった。こうした社会システムが、民家を支えていたわけです。太い丸太材を使って新しくつくる民家が古民家にかなわないのは、社会システムが異なる現代に表層的なデザインだけを真似ようとしているからではないでしょうか。 また真似し得ないものに、古材ならではの質感があります。数寄屋建築の第一人者であった早川正夫さんによれば、民家では多くの樹種を使い、したがって見た目を整えるため拭き漆などで「色づけ」をしていました。 木部に色づけをすると、硬い「冬目」では色をはじき、やわらかい「夏目」では濃く色を吸います。これは自然の濃淡の逆で、経年で漆が透くとその木目が際立った味わいを出し、さらに時が経つと紫外線で退色、濃淡が逆転し古色の表情に変わり、自然な味わいが生まれます。こうした時間がつくるデザインを、我々日本人は熟知し、尊び、愛でる感性をもっていたのでしょう。手仕事を支えていた社会システム迫力ある古材が組み上げられた古民家の土間。(写真・相原 功 江戸時代中期の農家・綱島家)失われつつある「ユイ」のシステム。写真は、福島・境野米子さん宅の茅葺き屋根の、葺き替え風景。(写真・五十嵐秀幸)(※)たなか・ふみお/1932年茨城県生まれ。14歳で宮大工の棟梁に弟子入りし、年季があけ御礼奉公を終え上京、根津神社の修復工事に携わる。早稲田大学工業高等学校建築科で建築を学ぶ。民家調査、重要文化財の修復工事を多数手掛けるほか、宮脇檀設計の「銀座帝人メンズショップ」「もうびぃでぃっく」の施工や、板倉構法・民家型構法の開発も行った。2010年逝去。みうら・きよふみ/建築家。1972年早稲田大学理工学部建築学科卒業。大成プレハブを経て、現在こうだ建築設計事務所主宰。「伝統木構造の会」、「ヒアシンスハウスの会」、「木づかい塾 」など、木造建築の普及活動にも携わる。『日本建築辞彙(新訂)』(2011年、中央公論美術出版)編集委員。近著に『木の魅力を伝える』(2014年、ユニブック、共著)。PROFILE

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