雑誌「チルチンびと」80号掲載「古民家はなぜ人の心を打つのか」
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70談・三浦清史古民家はなぜ人の心を打つのか眺めているだけで、心安らぐ古民家。しかし、それはなぜなのでしょう。古材の力、古びた美……抽象的に語られがちなその魅力を、技術面から解説します。建築構法に造詣の深い、建築家の三浦清史さんにうかがいました。ー技術から解く民家のかたち 黒光りする太い曲がり梁や柱、煤竹などを見るとなぜ、私たちは心安らぐのでしょう。民家が魅力的なのは、人智を超えた時間がデザインをしているからです。それは、私たちが今、目にしているような新しいデザインといったい何が違うのか。 住まいや公共建築など私たちを取り巻く現代の建築デザインは、1920年代に欧米で生まれた近代主義のデザイン(モダニズム)に端を発します。しかもそれは、自然の造形に倣った曲線を建築に取り入れたアール・ヌーヴォーではなく、装飾を廃した直線的な造形に基づくものでした。そして、機能性・合理性をかかげ、従来のデザインを駆逐するかのように世界的に広がりました。絶対的な合理性から、伝統を断ち切るデザインは、一神教であるキリスト教的な世界観を反映していると言えるでしょう。 対して日本の近世までのデザインは、ダーウィンの生エコロジー態学の如く、ゆっくりと進化するなかで伝え継がれるような性格のものでした。今、建築家が新しく民家をつくろうとしても、そこにはどうしても、モダニズム的な世界観や「建築家の個性」という異分子が出て、古民家とは受ける印象がずいぶんと異なります。この差は何か。技術的な見地からひもとくために、〝学者棟梁〟の二つ名をもつ昭和の名棟梁・田中文男さん(※)の、日本建築には「堂の技術」と「小屋の技能」という二つの流れがあるという論を紹介しましょう。 「堂の技術」は、現代でも行われている建築の生産技術のかたちです。仏教の伝来とともに建築されるようになった寺院の堂舎は、権力者のために専門家が最先端の技術を駆使してつくったもの。現場を監督する棟梁がほかの職人に采配をふるうために、指さし矩がねや図面による相互のコミュニケーションが必要となる。そして効率よくつくるために、合理化を求め、組み物などに見られるようなプレファブリケーションの仕組みが生まれました。 対して「小屋の技能」は、自給自足の時代の建築技術。住まいも自分でつくらなければならないために、誰もがもっていた技能のことです。田中さんは「小屋の技能」の典型を「アナブリヤ(図1)」と呼ばれる竹富島の伝統的な民家で説明しました。「アナブリヤ」とは沖縄の言葉で「穴掘り屋」の意、明治30年頃までつくられていたそうです。柱のすべては掘立てで、材と材の結合部はフジモドキという藤蔓で結わえるだけ。もちろん一人で建てられるわけはなく、村落内の相互扶助により人手をまかなっていて、「ユイ」のような、損得のない労働力の賃借関係を前提として成り立っていました。気心知れたコミュニティにおいては皆の経験や身体寸法、その場その場の知恵があればつくることができる。だから、指矩や図面を使うまでもない。ただこの「小屋の技能」は、「ユイ」による茅葺きを最後に、近代に入り失われてしまいます。 田中さんは、現代の住宅づくり(大工技術)を、「堂の技術」に「小屋の技能」のセンスが加味したものと見ていたのだと思います。私たちが今目にする古民家は、この「小屋の技能」の産物、すなわち現代では望むべくもない社会構造を体現しているのです。我々が古民家を見て心休まるのは、今は失われ、手「堂の技術」と「小屋の技能」集約的な「堂の技術」による社寺建築と組み物。写真は滋賀県・金剛輪寺の三重塔(重要文化財)。(写真・三浦清史)図1「小屋の技能」の典型例アナブリヤ。(図・三浦清史)

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